「南京事件はなかった」という無意味さ
河村市長が中国共産党の関係者に対して、言ったと話題になっている。 はっきり言って、この問題はあった、なかったと言ってもあまり意味のない事項である。 特に、日本人同士の間でこの問題を論議することに違和感を覚える。 歴史は客観的に見ることが大切である。 この問題も最近はイーンターネットの情報だけで論議している傾向がある。 日本人同士捏造だ、いや真実だと言っている。 淡々と現代歴史の本を読めば、例えば、受験参考書を読んでも、問題の本質は理解できる。 ①中国軍を追いかけて南京の街に日本軍が入った ②中国軍は南京の街で、市民の中に入ってしまう。 ③日本軍が中国軍のゲリラの掃討作戦を開始する。 ④ゲリラと市民の区別がつかなくなる。 ⑤疑わしい中国人を攻撃する。 南京市内で多くの市民が巻き込まれるような、攻撃があり多数の市民が亡くなった。これは事実。ドイツ政府へドイツ大使館からの報告もある。 中国の人との論議では、きっと殺された人の数で大きな差が出るだろう。 殺された方は数を多く言うし、殺したほうが少なく言うに決まっている。 結果、2つのことがはっきりする。 ①南京事件はあった。 ②日本人が意図的に多数の南京市民を殺したのではないこと、結果としてそうなったこと。 南京事件はベトナムでのソンミ村事件と似ている。 ゲリラと一般人が混在している中で、いつ殺されるかもしれないという恐怖感が、無意味な殺人をする。 政治的な意図を持った情報でない限り、現代史の本を読めば、以上の論理は容易に理解できる。 一般的な本、政治的に明らかな意図がある本でない限り、1冊読めば、簡単に理解できることだ。 インターネットの情報は明らかに意図のある情報が多いので、南京事件の情報に関して言えば、日本人を非難する情報も、日本人を擁護する情報も基本的に信じられない。 人は戦争をしないように努力することが大切なのであって、ノー天気な理想論的な外交論を振り回しても、戦争を煽るようなかっこいい外交論を振り回しても、結局、必ずその裏に知ってか、知らずか意図のあることを知らなければならない。 インターネット上の情報は、もともと意図があって出すものだから、それだけで、理解をすると誤ることが多い。 インターネットを使った政治運動は、実際の政治状況を反映しないというアメリカの研究結果もあるらしい。 やはり、本を読み分析することが大切だ。